All About Celica

 

アルバム

009年の夏で、オーナー人生11年目になります。3台のXXを手に入れて色々な経験をし、現在は2号車にすべてをかけています。ここまで、あまりに多くの出来事があってろくに写真など撮っている余裕の無かったというのが本音ですが、わずかに写真に収めてきた過去のXX歴を掲載してみたいと思います。

 

第一章 XX生活の始まり

第二章 イベント参加

1号機 ドック入り

埼玉県の某店で購入した、1983年式(前期)ツインカム24、シルエット・トーニング。走行距離は約64000キロ。ドアミラー以外はフルノーマルで19万円。リトラに興奮したため?、旧車のイロハも知らずに即決したことがすべての始まりだった。50万という貯金をはたいて手続きを終了した半月後、仕事で福島から離れられない私に代わって、父と弟が自走して運んでくれたのだが、入れたはずのエアコンガスもゼロ、信号停止時にエンスト、車検合格だというのにまっすぐ走らない、クラッチが滑って加速しない、さらには3速ギアが入らなくなくなったとの報告。
 様々なトラブルの原因究明をしつつ、サビで車体の強度すら危ぶまれていたことから全塗装を決意した。このため実家から物資を送ってもらいつつ、一月5000円以下の食費でやりくりしていた。
 サビに弱いXX、今でこそポイントは把握しているものの、当時はそのほとんどが錆びている痛々しい姿にかなりヘコんだ。表に出ているサビが目立たなかったというだけで、内部は相当にヤバかった。車好きの同僚たちも、このXXは治すだけ無駄かもしれないと助言してくれた。大きな事故はしていないようだったが、そこらじゅうが凹んでおり、モールも黒いビニールテープ。当然色はヤケていて、日光下ではガンメタが茶色に見えるくらいだった。

1号機 オールペン完成

 ドアやハッチ、ボンネットを開閉するたびにサビの粉が降って来る。いったい何度、落ち込んで閉口したことだろう(笑)しかし治療中のXXを見るたび、また板金屋さんの熱心な教えにより、日に日に綺麗になっていくXXに励まされて約2ヶ月。サビ予防をひととおり学習した頃にオールペンが完成。塗装色は自分のコダワリであるエメラルド系のホワイト。幼少時から作っては壊したフジミ製のプラモデルに描かれていた箱絵が元で、フロントエアダムは黒にしなかった。この頃はフル純正にこだわりも無かったが、純正のままでも充分魅力的で、モディファイに関してしいて言えば「後期のアルミが欲しい」という程度だった。
 近所に閉鎖中の民族資料館があり、日曜の早朝に写真を撮りに行ったのが、初めての撮影会。結構高低差がある所で、色んな角度から撮りまくったのを覚えている。板金屋の2代目は私と歳が近く、自身の乗るGX71クレスタは黒にオールペンされていて、XXと同型の1G−GEエンジンに乗せ換えていたこともあり、夜中にしょっちゅうツルんで山を走り、洗車場では電灯が落ちてからも自販機の光で並んでワックス掛けをしていた(笑)

2号機 車検取得

 半年間で1号機のメンテが軌道に乗り、12月半ばに中古スタッドレスを探していた際、とある民間車検工場の廃車置場でスタッドレス仕様の後期XXを発見。若干の痛みと錆はあるものの、純正ホイルに、純正フルシートカバーつき。フルノーマルで土禁スリッパ、スヌーピーのファッションキーという、いかにも「女性が大事にかわいがってました」といういわば極上モノ。
 すぐさまその車検工場の社長さんに「タイヤと部品をください!」とお願いしてみた。後々知ったことだが、その社長さんは板金屋のオヤジさんと幼なじみで、商談どころかタダでいただけるとのこと。後日、ガソリンを入れてもらいエンジンを掛けて乗ってみると、クラッチも、シフトも、ハンドリングも自分の1号機以上。灰皿も使った形跡が無く、エアコンもきちんと作動・・・と、なぜか中古車を買うような目線でこのXXを評価していた(笑)事情を聞くと、泣く泣く手放され次週にはぺっちゃんこになるという。「これが廃車!?ありえねえ!!」と思った私は、こともあろうかこのXXを2号機に(爆)。30万ほどかけて、ブッシュ類の交換と車検をやってもらい、一日おきに前期・後期のXXを運転する生活が始まったのである。気になる本体価格は・・・やはり(?)0円だった。 

2号機 半自家製オールペン

 機関良好、サビもほとんどなかった2号機ですが、前オーナーのもとで毎日の足としてがんばっていた分、外装のくたびれはそれなりにありました。オールペンの効果を1号機で堪能?していたこともあり、漸くたまった10万円に生活費を足して、オールペンを敢行したのが乗り始めて1年半後の10月のことでした。今回は1号機の教訓を生かし、部品の脱着、下地処理、マスキング、塗装そして研ぎ出しの一部を自分でやるという、まさに1/1プラモデル状態。そのため塗面の荒れや未処理のサビばかりか、塗り残しなどのアラも結構あったり、作業時間が仕事上がりの夜9時ごろということもあって数ヶ月かかったり(K板金さんにはホントにご迷惑を・・・)。福島県の冬は厳しく、研ぎ出しにストーブの上のやかんから分けてもらったお湯を使ったり、仕事着(スーツ)の上にジャージを着用してしゃがめなかったり、土曜日は板金の後に夜釣りに連れて行ってもらって凍えたり・・・とても思い出に残るイベントでした。 

2号機 オールペン完了

 2号機のオールペンが終わってから1年半の福島時代は、家賃45000円に駐車場つきのアパート暮らしでした。一台はアパート前、もう一台は近隣の公民館の巨大な駐車場に、管理人さんのご厚意で停めさせてもらっていました。時々ペットや屋店のイベントがあるので、そういう日は峠で半日すごしたり、K板金に置かせてもらって、板金屋の若頭が駆る黒い1G−Gクレスタで買い物に行ったり。
 ちなみにワックスがけは仕事上がりにK板金に寄ってから洗車場に行くのが常でしたが、休日は公民館に2台並べて一人でやっていることが多かったです。とにかく広い場所で、そんなに人の出入りもなかったおかげで、ゆっくり作業を行うことができていました。

2台体制

 まる3年の福島生活を終えて東京の実家に戻るにあたり、車庫が足りなくなる必然を承知で2台体制を継続しました。この辺は、両親の理解というか生まれ育った環境に恵まれていたことに感謝するのみです。やはり都23区内の仕事場ということで自動車通勤は不可、おまけに福島時代以上に仕事が大変になり、週末にちょっと動かす程度。そんな状況で2台も要らないだろうとみんなに言われ続けましたが、結局5年以上この体制でした。 

3号機 独り解体祭り

  ある年の春休み、突然の朗報が舞い込んできました。その何年も前から、いつもの10Kmドライブコースの途中にある陸橋下の放置車両が、遂に解体されるという情報が。当時ディーラー勤務だった弟の手を借り、なんなく4万円で譲渡完了、しかしながら置き場が無くて行きつけの車検工場の社長さんにお願いして5日だけ車庫を借り、平日に一人で解体作業をこなしました。現物は事故後ずっと放置されていて、走行7000キロ台の奇跡の個体。グレードはGながら、ボディーもしっかりしていて、カビが凄かったものの内装も痛みがほとんど無し。でもその当時、仲間の都合をつけて解体に臨む間もなかったことや、今ほどの知識が無かったことが原因で惜しいパーツをいくつも付けたままタイムアップ。業者に引き取られてしまいました。取り外したパーツは、主に私の1号機に移植したほか、XX仲間のクイックさんがわざわざ我が家まで出向いて引き取ってくれました。

 


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